たまにはこんばんは。

ブログというものの存在を思い出したので使ってみよう。
よるっていうのは夏でもやっぱり涼しいので、好きです。窓を開けておけばね。
あまり最近文章を書く練習をしていなかった。
Twitterというのはおそろしいもので、何も言ってないのに、何か言った気になってしまう。
たかだか数文字のつぶやきの数、フォロワー数やふぁぼられ数がなんの指数になろうか。
最近では連続ツイートなるものをする人もたくさんいるのだけれど、やっぱりTwitterは長文を伝えようとすることや、そもそも主張することには向いていないのだと思っている。
タイムラインは数秒のうちに更新され、そしてそれを常に見れている人は少ないだろう。また、外部サービスを使用しなければつぶやきは遡るのが困難である。
どんなに鋭い意見であろうと、たくさんのツイートの1つでしかない。たくさんのなかのたった140字でしかない。
もちろん、常にすべてのツイートをチェックしている人もいる。それにこんなブログだってたくさんのなかのたかだか数百文字でしかないし、文章というのは長ければいいのではない。(それは2万字インタビューが教えてくれたね。)しかし、私はそういったTwitterの使い方をしておらず、またそして、Twitterをそういったものだとみなしていないのです。
私はTwitterを世間話が溢れている場としてみている。だから、必要以上にアカウントを分けるのではなく、あえてどんな人もフォローするようにしている。そしてまだまだ少ないので、その数を増やそうと思っている。タイムラインは雑多で、おはよーと言っている人がいればおやすみと言っている人もいる。
世間話の中には喜怒哀楽や生活や思想や情報や時にはデマも、とにかくいろんなものがある。そしてそれをぼんやりと見つめて、ちいさく生きていることを実感したりする。震災でTwitterの情報拡散力を実感したり、虚構新聞のネタが本気かどうか分からなくてあたふたするつぶやきをたくさん見たり、大学生がカンニングや飲酒運転などつぶやきをして話題になっているのを見たりして、こういったTwitterとのお付き合いのしかたが自分にはあってる、そう思いました。2011サマー。